「宗教は突き詰めていくと科学になる」
父が言っていたその言葉の意味が、今になってじわじわと身体に染み込んでくる感覚があります。
宗教が扱う「目に見えない世界」――魂や祈り、因果、カルマ。
そして科学が扱う「目に見える世界」――物質、エネルギー、周波数、細胞。
一見するとまったく別の領域のようでいて、深く掘り下げていくと、両者は同じ場所に辿り着くのではないか。
それは「真理」とも呼べるような、変わらぬ法則、普遍のリズム。
たとえば、祈りや意図が、量子の世界では“観測”という形で現象を変えることがあるように、
わたしたちが「意識を向ける」ことは、現実世界に変化を生む――それはもう、宗教でも科学でもなく、存在の本質に触れているのだと思うのです。
仏教では「空(くう)」という概念があり、すべては固定された実体を持たないと説かれます。
これもまた、量子力学の「観測されるまで粒子は確定しない」という理論と重なる部分があって、
東洋と西洋、宗教と科学のはざまで、何かが静かに一致している感覚があります。
みえない世界を“信じる”ことと、みえる世界を“解き明かす”こと――
それは、陰と陽のように補い合いながら、どちらも人間の深いところにある「問い」に向き合う営みなのかもしれません。
だからこそ今、セラピーという形を通して
私はその「間(あわい)」を歩いているのだと思います。
宗教でも科学でもない、でもその両方に触れるような、静かな旅を巡っているのです。
